ブラックジャック
カジノで行われるブラックジャックは、プレイヤーはプレイヤー同士ではなくディーラー(親、胴元、ハウス)との間で1対1の勝負を行います。
プレイヤーが何人かいる場合には、ディーラーは複数のプレイヤーと同時に勝負をすることになります。
ブラックジャックのルールは、21を超えないように手持ちのカードのポイントの合計を21に近づけて、その数字がディーラーより21に近づけば勝ち。
21を超えるとバーストといって負けになります。
手の中のカードのポイントは、カード2〜10ではその数字通りの値でカウントします。
絵札(ピクチャ)であるK(キング)、Q(クイーン)、J(ジャック)は10と数えます。
A(エース)は、手持ちのカードの合計が21を超えない範囲で11と数え、超える場合は1として数えます。
▼ブラックジャックの起源
ブラックジャックの起源には、定説は残っていません。類似のゲームが初めて歴史に登場するのは16世紀です。
もともと家庭内での簡単なゲームでしたが、イタリア、フランス、スペインなどのラテン系諸国の人たちが考えたというのが有力な説とされています。
フランスでは「21(ヴァンテアン)」「30〜40(トラント・エ・カラント)」というゲームがあり、フランス人たちはこれが起源だと言っています。
ブラックジャックと呼ばれるようになったのは、最初に配られたカードがスペードのエースとジャックだったときに、高い配当をつけるようにしたのが始まりです。
ブラックジャックはルールが変更され続けているゲームですが、もっとも重大なルール変更はブラックジャックの定義が「スペードのエースとジャック」から「全種類のエースと10、ジャック、クイーン、キング」の組み合わせになった点です。
ブラックジャックはアメリカに渡った後、人気を得て発展します。
アメリカの記録には1875年のアメリカ室内遊戯一覧に登場していて、非合法カジノに登場したのは1910年前後です。
当時のアメリカはギャンブルは違法でしたが、ギャンブラーはスペードのエースと黒のジャックには配当10倍など新しいルールを加えて行っていたようです。
戦前のカジノでは、ヨーロッパはルーレット、アメリカはポーカーとクラップスが人気で、ブラックジャックはトップのゲームではありませんでした。
しかし、1960年代にブラックジャックのその後の運命を変える出来事が起きます。
アメリカの数学者やプロギャンブラーたちがコンピューターを駆使してデータを分析し、必勝理論やカジノ打倒作戦を考え出し、ラスベガスやその他、世界中のカジノに大損害を与えたことです。
このカードを数える「カードカウンティング」をめぐるプロとカジノの攻防は、プロの立入禁止、逮捕や訴訟など全米ニュースとなりました。
「カードカウンティング」とはすでにゲームで使われたカードを記憶し、残るカードを推理しディーラーと客のどちらに有利なカードが残っているかを分析して、それにより賭金を増減させカードの引き方を変動させる方法です。
60年、70年代には多くのブラックジャック必勝講習所などが開設されて、多数の人たちが必勝法を学びカジノに乗り込みました。
カジノ側は対抗するためにルールを変更するなどし、激しい攻防が繰り広げられて、それがきっかけでブラックジャックの人気が急激に高まりました。
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